第11回演奏会を終えて その1

consortviolin

少し時間がたってしまいましたが、演奏会のこと書きましょう。

先日、

◆アンサンブル コンソルテ 第11回演奏会

指揮: 大河内雅彦

日時: 2009年8月2日(日) 14:00開演予定

場所: 杉並公会堂大ホール

に出演してきました。今回はセカンドヴァイオリンでした。雨のなかとてもたくさんの方にお越しいただきました。ありがとうございました。たくさんのお客さんのまえで演奏するのってとっても嬉しいものです。

今回は「オールハイドンプログラム」ということで

♪第一部

交響曲

第1番より 第1楽章

第13番より 第4楽章

第22番「哲学者」より 第1楽章

第44番「悲しみ」より 第1楽章

第45番「告別」より 第4楽章

第60番「うつけ者」より 第6楽章

第92番「オックスフォード」より 第4楽章

第94番「驚愕」より 第2楽章

第101番「時計」より 第2楽章

第104番「ロンドン」より 第4楽章

♪第二部

交響曲 第103番「太鼓連打」

♪アンコール

交響曲第90番より4楽章

でした。

うん、長くなりそうなので、テーマごとに書いてみよう。とりあえず今回は、「解説入り演奏会について」の感想でも書いてみましょうか。

今回はハイドン没後200年ということでちょっと変わった記念の演奏会にということで、すべてハイドンの曲というプログラムでした。

ただ、ハイドンって名前は有名なんですけれど、曲を知っている人、口ずさめる人ってどのくらいいるんでしょう。まちがいなく少数だと思うわけで、この記念の年により多くの人にこの偉大なる作曲家を知ってもらうために曲の間に解説を入れるという、いわゆるクラシックのコンサートではあまり見られない形式をとってみました。

打ち上げでみたアンケートによると、この「解説付き」これが非常に好評だったようで今後もお願いしたいといった意見が数多く見られました。

ここから毎度ながら極端な個人的見解、要するにわけのわからない堅苦しい意見を書きますが、こういう反応が多いってことは、みなさん音楽に「意味」をもたせたいというか、なにか意味を見出したいとか、そういう欲求があるのかなって強く思いました。

そう書くくらいですから、僕としては、今回は特別な演奏会ということでありだと思いますが、

「いつもいつもこうした形式で行うのは望ましくない」

かなって思うんです。それがハイドンだから、それも理由の一つかもしれないです。

どうしてこんな感想かというと、僕の音楽のとらえ方がなんかちょっと違うからではないかなあと思います。。

これは数学とか物理をやってた影響、特に理論物理をやっていた影響なのでしょうか、人間が、特に俗人である我々が過去の天才が作り上げた美しい自然美に対してあれこれ意味をつけたところでたかが知れていると思ってるんです。むしろ余計なことを考えずに素直にいま聴こえてくる音やハーモニーを受け入れる、抽象的な美、普遍的な美に酔いしれた方が本来の魅力が見えてくる、そんな風に思っているんです。

確かにハイドンがいつどこでどのような状況で作曲したのかという背景を知ることは「面白い」のですが、それが故にその先入観でその音楽の感じ方を狭くしてしまうのは、それはそれで楽しくないんじゃないかと思うわけです。

宇宙の探索線のボイジャーにはモーツァルトのCDが積まれているっていうじゃないですか、もし宇宙人がそれを聴いたとき、彼らはどう思うんだろう。そもそも彼らが感知できる音の周波数であるのか、という物理的な問題から始まり、仮にそうだったとしてもそれを美しいと思うことができるのか。確かにそうなんだけど、僕としては、学生時代に”洗脳”された相対性原理というか等価原理というか、それっぽい哲学に基づいて、

「美しいと感じる旋律が満たしている方程式は宇宙のどこでもいっしょ」

なんじゃないかなって思うわけです。「美しい旋律の方程式」は、非常に複雑な非線形の方程式だから、その解はもちろん線形微分方程式みたいに一意ではないわけ。だけど、感情をもつ生命体が美しいと感じる現象はやっぱり宇宙のどこにいっても不変であると思いたいのです。

だから僕らの星のモーツァルトを聴いた彼らはきっと、「いいね」って感じてくれるんじゃないかなあ、と信じています。

うん、相変わらず長くなってしまいましたが、そういうわけで、僕は解説とか予備知識とか、それはそれであって、一方でこうした自分が一つの感情をもつ生命体としての本能でもって、いわばあらゆる先入観を無にして聴いてみる、そういう姿勢も大事にしてもらいたいなあと思っています。

感情的・物語的なシューマン、ベルリオーズ、大好きです。

情熱的、ベートーヴェン、最高です。

?的、モーツァルト、もう何も言えません。

これら作曲家に比べると圧倒的にインパクトすくなくありませんか、ハイドン。

だけど、そんな余計な感情を排除して素直に聴くと意外とよくね?というハイドンこそ魅力なのだと。それが自分自身ハイドンに対する姿勢だと思っています。

毎度とりとめのない流れとなりましたが、今回、ステージの上で改めてそう思いった次第です。

(たぶん続くかな??)

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