車の割り込み

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今日、といってももう日が変わって昨日のことなのですが、本当は千葉の佐倉というところにある川村記念美術館に行こうと思っていました。が、出発前にネットで調べたところ、どうやら来月まで休館中のようでいきなり予定が成り立たなくなってしまいました。

以前一度言ったことがあるのですが、ここの美術館は、コレクションの質が高く、そして雰囲気もいいのです。

美術鑑賞後は、美術館のカフェかそのちかくのどこかで勉強でもしようと考えていました。勉強というのは、今年の最大のテーマでもある英語力の強化とあとはためているビジネス書(割と専門性高いもの)を読むといったところ。

美術館休館ということで一気にモチベーションはなくなりました。ただ、天気もいいのでとりあえず千葉方面までドライブ、いやせっかくだから海を見ようと車を走らせました。結局外房まで行ってしまいました。行ってしまえば意外に近いものです。とても風が強かったせいでかえって荒々しい海を鑑賞できたため、来てよかったなと思いました。

結局勉強はしませんでした。

さて、車を運転中、ところどころの道路で当然のように渋滞したりしているわけですが、そんなに急いでいるわけでもないのに渋滞というのはどうしてもイライラしてしまう要因になりますよね。

渋滞に限らず割り込みとか、こういうのってどうして神経を逆なでするのでしょう。

自分だけなのかもしれませんが、とにかくわざわざ「イラっとしないように」と強く意識するようにしています。

そのせいあってか割り込みなんかも今では全然気にせず譲り合う余裕もできてきたと思います。それがたとえ強引な割り込みであっても。もっとも意識したからそうなったということ自体、自分自身の器の小ささを感じざるを得ません。たかだか割り込みなのにね。

それにしても割り込みでいらっとするドライバーは多すぎのような気がします。少しでもスペースを見つけて割り込もうとすると、わざわざアクセルを踏んで加速するひとっていますよね。そのたびに浅はかだな…って思ってしまいます。そう思うこと自体も決して望ましいことではないですが。

割り込みに関しての余裕は、海外での運転の経験も役立っていると思います。ヨーロッパの人はなんというかいさぎよういというか。ちょっとのスペースでも割り込まれたら、すぐにあきらめるかのようにすんなりと道を譲ってくれます。もうすでにスペースを取られてしまっているにも関わらず、あるいは相手がそのスペースに入ろうとする意思が明確にわかったにもかかわらず、意味なく見苦しくアクセルを踏み込む、よく日本人で見かけるようなドライバーはほとんどいない。ヨーロッパで僕は一度もそういう経験をしたことがないです。

ただ、割り込むという明確な意思表示は重要です。そうしないかぎり、こちらのようすをうかがうことなく突き進んできます。

このことは特にパリで運転して痛感しました。パリではとにかくどんな小さなすきまでも「入ります!」と強く意思表示しないと街中を進むことができません。そうしたお互いの意思表示をはっきりさせることであの街の交通が成り立っているのでしょう。その証拠なのか、どう考えても強引な割り込み(パリではおそらくそれしか不可能)なのに、クラクションがなることがほとんどないわけです。

ちなみにこれはパリだけとは限らないと思いますが、ヨーロッパ(といってもフランスとイタリアだけ)を走っていて思ったのは、自分の前のスペースに車や人がいた場合、たとえ自分が優先であったとしても、もちろん例外もあるにせよ、先にそのスペースにいたものが勝ち or 優先といった暗黙のルールや気持ちがありそうな感じです。だからむやみにクラクションをならすことがないのかなあと思っています。

少なくともそんなことで「イラっとくる」ことはないのは確かでしょう。

当然、無駄にクラクションが鳴り響くこともないわけです。

ただ、彼らはとてもスピードを出します。急ブレーキあまりはありませんが、日本よりも急加速ではあると思います。スピードを出すといっても、それは日本よりも法定速度が高いからです。むしろほとんどの車が法定速度をきっちり守って走っているように思えます。日本のようにコンスタントに10km、20kmオーバーで走っている車はあまり見かけませんでした。ルールはみなきちんと守るわけです。

なお日本の法定速度順守については、ドライバーのせいというよりも適正な速度を設定していない法体制に問題があると思っています。十分な車線と道幅のある高速道路80kmというのはどう考えても適正ではない気がします。

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