邪魔をされたくないくせにさみしがり屋の人たち

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よくある光景ではあるけど、電車の中で男子高校生のグループ6人くらいが、うるさいってほどじゃないけれど、戯れていた。うち一人が結構ガタイのいいやつ(以下、ジャイアン。)で、うち一人はからかわれキャラっぽいやつ(以下、のび太)がいて、のび太がジャイアンにどつかれていた。

さて、今日こんな話題を書いたのは、このジャイアンたちがうっとおしいとかそういうのではなくて、明日、海外一人旅コミュのオフ会(しかも30歳以上限定)に参加するにあたりいろいろ思うことをつづるためだ。

もともと僕は、仲のいい友達はいたけれど、どちらかというとマイナーな存在だったし、体育会系のクラブにはないっていなかったから、男子6人くらいでグループを組んで常に行動するなんてことはなかったし、まして態度や言動が暴力的だったりするグループに属していたことはない。だいたい「オレ」なんて呼称を使うのは、野蛮な証拠というかどうして「オレ」なんて使うのかすら疑問に思っていたくらいだ。

偏見かもしれないけれど、こういう体育会系っぽい男子ってのはどうして集団で戯れるのであろうか。女子だったらなんとなくわかるというか許せるというか。

いつも思うのは、こういうやつらって、もし一人になったとき、どれくらい自力でやっていけるのかなあということだ。こう書くとちょっと建前っぽい。ストレートに言えば集団でしかいられないおまえらは一人じゃなにもできんだろう、どうなんだ、おい、みたいな上から目線的想いがあることには間違いない。

いったいいつからこういうことを想っていたのかは定かでないけれど、少なくとも小学校6年の頃のソフトボールのときとか、高校で吹奏楽にはいったときとか、ひとりでお茶の水の予備校にいくことに決めたこととか、ひとりでわざわざ関西の方面の大学にいくことにしたとか、同じ大学の大学院じゃなくて一人だけ違う研究室を受けたとか、ひとりだけ博士課程を断ったとか、、結局自分を優先するあまり一人で行動するしかなかった自分にとって、やっぱり今日電車であったような集団をなすやつらの心情はわからない。

もちろん、自分の周りの環境、いろいろな人との出会いがあったからこそ自分が形成されていったことに間違いはないと思っており、各方面の人々への感謝を忘れることはまったくない。そして、決して大勢でいることが嫌いということではない。自分の存在を意識するには仲間も大事だから。勝手な想像だけど、自分がきっとそうだからそう思うのだろうけれど、こういう人たちってやっぱり孤独になることが多く、よってより共感を求めて「安心」したいために、さみしがり屋が多いのかなって思う。

明日は、自分を優先するために、無駄に空気など読まず、自らの意思を貫いていくさみしがりやの人たちが多く集まるんじゃないかなと期待している。非常に楽しみである。

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