Sarajevo, Bosnia and Hercegovina
2009年4月26日、現地時間午後10時
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第2部:サラエヴォ 街の西側
第2部と3部で観光内容をご紹介しますが、簡単に言いますと
西側=紛争の傷跡
東側=東西文化の融合
といった感じでしょうか。
まずは駅・バスターミナルへ向かう途中で通った「Holiday Inn」
地球の歩き方にはこうあります。
市内でもっとも有名なホテル。戦時中は最前線から300mという距離にもかかわらず営業を続けた。ジャーナリストがここにたむろし、砲弾の音に首をすくめながら戦況を伝えた。
その300m先は、きっとここなのでしょうか。
ここから先は「スナイパー通り」と呼ばれているようです。
実は空港からタクシーで市内へ向かう途中、このスナイパー通りを西側から走って通りました。スナイパー通り、この通りでは、戦時中、動くものはすべて、高層ビルに潜んだセルビア人狙撃兵の標的になったそうです。
あの戦争から10数年たった今でも、街のいたるところには銃弾が打ち込まれた跡が痛々しく残っています。はじめは衝撃的でしたが、恐ろしいことに街を歩くにつれて普通の景色としていたるところに存在しているため、慣れてきてしまうのです。
舗装がままならない道も、当たり前のように存在しています。
さて、本日はじめの目的地、いや今回の旅の最大の目的でもある、「サラエヴォ冬季五輪施設と墓地」への訪問。
紛争時、犠牲者を墓地に運ぶことすらできず、埋葬する場所もなかったため、オリンピックの補助グラウンドを墓地としたそうです。
確かに92?95年あたりになくなられている方の墓標が多かった、そしてさまざまな宗教、特に印象深かったのは、アラビア語で書かれた墓標が見られたことでしょうか。
ここの写真を撮ることにはいろいろ賛否両論もあろうかと思いますが、歴史を知る、伝える、という目的から、ここでは掲載することに決めました。