ルールを守るセンス

essay

何日か前の日経新聞の記事にも出ていたが、経済産業省企業価値研究会(座長・神田秀樹東京大学大学院教授)が、「近時の諸環境の変化を踏まえた買収防衛策の在り方」を来週あたり公表することになるようである。

この作成に関与されていたという外資系証券ストラテジストのレポートに記載された予想意見によると、この経済産業省企業価値研究会のレポートは、

買収者に金銭を支払って防衛すること

防衛策の株主総会承認について、過度に重視すること

事前警告型防衛策を導入している会社が、不必要に質問を繰り返して時間稼ぎをすること

買収防衛策発動において、特別委員会の勧告によって取締役会判断を正当化すること

を好ましくないとする内容のものとなるようである。そして、これは政府の買収防衛策に関わる政策を示すものといっても過言ではないといえるとのことである。

まあ、金融経済をそれなりに知っている人のあいだでの「常識的」な判断であるといえるのではなかろうか。驚くほどの内容でもない。経済合理的な視点においても、そして「心理的」にも。

そして、もうひとつ興味を引かれたニュース。昨日あたりにネットのニュースで見かけた民主党の前原氏に関するものだ。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080612-00000002-jct-soci

特に気になった箇所を引用する。

農家の所得支援1兆円を含む15兆3000億円の公的資金を投入、という07年の参院選の民主党マニフェストには「財源の根拠が希薄」という指摘があった、と前原副代表が言及。あやふやな状態なのに最後は小沢代表の「エイヤ!」で決まってしまった

 「(国会運営について)民主党が間違っている。国民のために一つずつ物事を決めないといけない。小沢代表が悪い。政策に興味がなく、政局にしか興味がない」

僕は政治にも詳しくないため、こうした政党において党の方針の決定にかかる手段というものを知らないのであるが、少なくともこの記事を見る限り、本質的な概念を意識せず、外部に対する対面、組織内での立場・権力の維持、等々について、極めて個人的な(もしくは少数の関係者のみの)見解に基づき組織全体のコンセンサスを構成させたように見える。もちろん、そもそもそれに同調する同士は多いかもしれないが、これが果たして民主的な組織における決定方法と言えるのであろうかと疑わざるを得ない。

さてさて、最近非常に自身の身近でいろいろなルールに対する姿勢について疑問を抱かざるを得ないことが相次いでいる。

ルールを守る。日本という国が果たしてそれができているのか。国レベルの議論は一国民である自分ができる範疇ではない。ローカルなつまりより身近な範囲に限っていると、どうも決められたルールを守るということができない人も多々目に付く。

とはいえルールというものは、時代とともにワークしなくなることがある。その場合は時代に即して変更するべきであろう。そして変更後は、自分たちでそうしたのであるから、それはきちんと守っていくべきだ。こうしたサイクルがあってこそのルールであろう。

しかし、ルールそのものには、根底をなす概念、本質的な概念が必ず存在する。明文化されているのであれば憲法ともいえるし、明文化されていなくてもその民族、地域、コミュニティーに存在する倫理観や道徳観もそれに該当するものの一種であるといえる。さらには単なる「常識」といったものも含まれるであろう。時代に即してルールをエンハンスさせることは大事と言えるが、こうした本質的概念は、そのルールが存在する以上、原則普遍であるべきだ。

結局のところ、小さなコミュニティーに存在するこの種の本質的概念を感じ取るのは、直感とかセンスとか、はたまた常識とか、そんなレベルのものによるものなのであろう。これは、「空気を読め」といった考え方にも近いかもしれない。要するにわざわざ「表現」して伝えにくいものといえる。

組織、それにかかわる関係者、それらが大きくなるほど、そして多岐にわたるほど、守るべき本質は何か、改善すべきは何か、進化させるべきは何か、を適切に"センシング"し、かつ"センス"よくルールを守っていく、こうしたがより重要になってくるはずだ。大げさないいかがであるが、結局これも「常識」の一言で片付けられるものではないであろうか。

なのに、このことをしないことがまかり通り、そしていつのまにかことが進んでいくのだ。

そんなとき、「情報操作」に対面することが多い。そうでないというものの、実はほぼ自分たちの意向が反映できる環境を築きあげ、もはや変更できない状況に持っていったあとで情報開示する、すなわち「報告を意図的に遅らす」という手法に走っていることもある。当の本人たちは情報開示をしているつもりであっても、決してこれは適切な方法とはいえまい。

先月ドイツを旅行したとき、生まれて初めて「アウトバーン」を走った。案外制限速度区間が多かったものの、うわさどおりの制限速度無制限は事実存在した。この道ではいつまでも追い越し車線を走る人はいない。そしていったん制限速度区間に入るときちんと速度を落とす。一般道においても律儀に速度を落とすところは落とす。

きっとそうなるようにセンスよくルールを守り、そしてセンスよくルールを変えていったのであろうか。そんなコミュニティーには、常に制限速度60km/hにもかかわらず皆が80?100km/hで走っているような(高速)道路は存在しない。そこにはきっと何らかのセンスがある。

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