事なかれ的先延ばし主義

essay

冷静になればたいしたことないはずなのに、ささいな言動が気になってしまうことにはつくづく情けないとは思うのですが、しょせん大した人格でもない小人だし、「人間らしい」ってことであまり卑下にならずに。

まあ、それはおいといて…。

個々の事情、具体的な事象、方針、考えなど、正直、なんでもいい。こうしたことは人それぞれなので、過度に自分自身の好き嫌いを当てはめても仕方がない。

よく勘違いされやすいのだが、自分が嫌だと思っているのは個別の事情に対してではない。ある特定の結論に対してではない。結論の内容なんてどうでもよい。

がしかし、その決めるに至る過程、プロセス、構成員の態度、これは非常に気にする。

言い方があいまいだ。気になるのは、

「事なかれ的先延ばし主義」

ちょっと自分自身、異常なくらいこれが大嫌い。

合理的すぎる考えは、この社会、あまりなじみがないこともあり、敬遠される傾向にあることもわかっているが、その一つの障害になりえているのはこの主義じゃないかとも思っている。理路整然とした考え方がすべてではないしベストでもないことは、人生経験を通してわかってはいる。ときにこれが社会の潤滑油になっていることもよくわかっている。

しかし、

「人間関係悪化や他人の評価を異常に気にして、結局行動しない・結論を出さないでごまかす」

は、醜いと言えば醜い。

大事なのは、この裏で犠牲になっていること。これをどれだけ意識できるか。この主義ってとくに表面的なものなのでなおさらだ。

結論を先延ばすことは少なくとも時間の犠牲は伴っているはずだし。

実は考える余地がないくせに「慎重に考えるべき」というのは間違っているはず。そういうと「そんな簡単なことじゃない」とか「結論を急ぐべきじゃない」とか「みんなの意見をもっと聞くべき」とか言われるが、ふたを開けてみると実は何も考えずに時間を先延ばししているだけだった、みたいなことが多い。

これに付き合わされることが一番嫌。結論の内容などはっきりいってどうでもいい。

あとは、「考える深さ」かな。

考えていないのは論外、考えるポイントがずれているのは良くない。何を考えるべきか、それは結局のところそれぞれの主観に頼らざるを得ないが、コツや共通概念はあると思う。そうしたコツの一つなのかどうか、「事なかれ的先延ばし主義」はなにか影響していると思う。

ちなみに普通に社会人、ビジネスをしていると、どう考えても「事なかれ的先延ばし主義」って悪だって経験するんじゃないかと思うんだけど、どうしてそんなにまで感じるのかは疑問なのだが。

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